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個人輸入代行の『舶来屋』がお薦めする「 入不二 基義 」関連の書籍をご紹介しています。


著書名 足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想
著者名入不二基義
出版社 朝日出版社
ASIN 4255004714
装丁 単行本(ソフトカバー)
価格 ¥ 1,890
感想文概要:入不二哲学入門の決定版
本文: 哲学者入不二基義氏による初のエッセイ集である。既刊の序文を中心に構成された第一部、時間論的な哲学エッセイを集めた第二部、時事ネタを含む日常的エッセイの第三部、そして付録のプロレス論、どこから読んでも入不二哲学の魅力に触れることができる。
 同氏の既刊書はよくもあしくも本格的な哲学書がほとんどだったため、その分かりやすさとは裏腹に一般読者にとっては不当に馴染みの薄い哲学者であったが、本人をして「こういう本をずっと書きたいと思ってきた」と言わしめた本書は、読者を選ばぬ読みやすさと哲学ファンをも納得させる深さを兼ね備えた好著となった。
 個人的には第二部の書き下ろし三篇が最も刺激的であり眩暈すら覚えた。普段何気なく見過ごしている常識が入不二製の哲学メスによって解剖されてゆくさまは芸術的ですらあり、少なくとも表現力においては3N(中島義道・永井均・野矢茂樹)を凌いでいるのではないかと思われる。付録のプロレス論は再録であるが、独創性はもちろんのこと後に開花する入不二哲学の萌芽が見られ興味深い。
 松田行正氏の手による装丁も地味でありながら挑発的であり、「無さ」にこだわる入不二哲学を具現しているかのようである。入不二哲学のみならず哲学そのものの入口へと誘ってくれる本書は、一人でも多くの人に読んでもらいたい一冊である。

概要:入不二ワールドの魅力の源泉が分かる
本文:著者は「入不二ワールド」と呼ばれる形而上学的思考を粘り強く展開してきた哲学者。本書は、著者が「ずっと書きたいと思ってきたエッセイ集」(p229)で、テツガクテツガクした議論から、若き日の恋愛譚(?)、著者が長いこと講師をしていた予備校という独自空間の活写、著者が強いこだわりと愛着をもつプロレスの快楽など、話題は多岐にわたる。だが全体を通読すると、そこには一貫して何とも言えない”解放的な気流”が流れているのを感じる。たとえば「<さとり>と<おおぼけ>は紙一重」の節では、大乗仏典『維摩経』の第八章「入不二法門品」における、菩薩たちの面白おかしいおしゃべりが紹介される。「不二に入る」(=悟りを得る)とは、「二」(=二項対立)から自由になることである。だがそれは、人間が言葉を使って思考する以上、とても難しい。なぜなら、「P」という規定は、「Pでない」という否定とつねに二項対立してしまうからだ。哲学でいう「排中律」から自由になろうと、菩薩たちはしゃべり尽くした挙句、問いを立てた張本人である維摩に答を尋ねるが、維摩は沈黙して答えない。だが、維摩のこの「沈黙」を、言語の無力を示す深遠な真理開示と早合点してはいけない。「くせ者」で「あまのじゃくな人」、仮病で寝込んでいるだけの維摩は、ただぼけーっとして、菩薩たちの議論を聞いていなかったので答えられなかったのではないか? このような「おおぼけ」と「さとり」は原理的に区別できないのだ。また、「<とりあえず>ということ」という節では、哲学では無視されてきた「とりあえず性」こそが、そこから「永遠」と「たえざる時の推移」という二つの頽落形態が生まれる原初的なものであることが示される。二項対立からの自由を意味する「不二に入る」が著者の苗字であるように、本書すべての話題が「不二に入る」ネタであるのが素晴らしい。

著書名 相対主義の極北 (ちくま学芸文庫)
著者名入不二 基義
出版社 筑摩書房
ASIN 4480091955
装丁 文庫
価格 ¥ 1,470
感想文概要:日本人の哲学者のレベルって
本文:面白い発想です.相対主義の自己適用を繰り返すという操作の極限に何があるか.そういう問題意識です.で,その極限(極北)は何か,「私たち」というキーワードによる3条件でまとめます.

極限操作の詰めの部分で,数理論理学にある自然数構築の手続きと,ペンローズの議論をうまくパクッて,アナロジー・図式化で逃げているというところに抵抗あります.

著者も含めて,日本人の哲学者の研究レベルは,国際的にはどの程度なんでしょう.そもそも,哲学研究に国際性というのは,ありえないんでしょうか.

なんとなく,「輸入超過」という気がしたものですから・・・・

概要:だれもが一度はもつ視点を突き詰めた本
本文:「相対主義」は自分や他人の価値観とか、コミュニケーションとか
の問題を考えたことのある人ならば、一度は到着する立場だと思い
ます。
そうして、もう少し深く考えた人は「自己言及性」「再帰性」とい
った問題を考え始めるんじゃないかと思います。
だいたいこの辺までは、ちょっと内向的な少年少女なら、一度は考
える青春のテーマ(Wなのだと思います。

その後は、本格的に論理学や言語哲学へ突き進む人も中にはいるか
もしれませんが、普通の人は「人の考えはそれぞれだよなあ」とか
なんとかいって、まずは一区切りつけ、考えることをやめるわけで
す。

本書はさらにその先にこだわった本です。
そういう意味では、著者は皆がとうにやめてしまった遊びを、みん
なにかわってずっと続けてきて、大人になった今でもなお極めてく
れているわけです。
本書はその鍛錬の中間報告になります。
是非、読んでみて下さい。

概要:入不二哲学の原点
本文: 哲学者入不二基義氏のデビュー作でありながら入手困難の状態が続いていた幻の名作が、ちくま学芸文庫に殿堂入りして帰ってきた。春秋社版を読み損ねていたわれわれファンにとっては待望の文庫化である。
 そのタイトルから入不二哲学を相対主義だと誤解してはならない。相対主義の相対化を徹底したその先には何が待っているか。若き日の入不二が異国の地で相対主義の地平を超え、ほとばしり出る哲学的発想を結晶させたときの悦びは想像するに余りある。
 第7章の『「ない」よりもっと「ない」こと』は本書の一つのピークであると同時に入不二哲学のキーポイントでもある。無をあくまでも存在の否定形としてとらえた自由論者サルトルが、外部によって形成される「われわれ」を主張したのに対し、無限に拡張する外部なき「私たち」を提唱した入不二が、その後運命論を語り始めることになるのは興味深い。
 次著『時間は実在するか』(講談社現代新書)と並んで、日本哲学界の独創的古典として残るべき名著である。読者を選ぶメタフィジカルな哲学書ではあるが決して難解ではなく、読破に自信のない読者には野矢茂樹氏による素晴らしい解説からまず読むことをお薦めしたい。

概要:こういうのが真に意義ある文庫化である
本文: 本書のような凄絶無比の名著が文庫化され手軽になったことを寿ぐ。
 本書はいかにも扱い辛いハードカバー体裁で何千円もするものだった。
 著者・入不二の哲学思考は純正な哲学心の結晶であり、文体は、自分が哲学の文章を読んでいるのが信じられなくなるぐらい分かり易く・明晰であり、この点では日本哲学史上稀でないかと言いたくなるぐらい他に冠絶している(言葉遣いだけやたらと崩していて論旨は難解な野矢の文章の如きと好対照)。著者の哲学思考の純正さは驚嘆に値するもので、それは著者の数少ない他著(講談社現代新書のとNHK出版の)を読んでも確かめられる。純正ゆえに本書では「相対主義」から期待されるであろう言語論や文化論の具体例は1行も示されず、ものの見方を一点の主観に回収する相対主義の構造を論理的に突き詰めて、その主観も一点も消尽させる所の「相対化する力」を記述し抜く。量の多い巻末注がまた、大学での授業用に書いた原稿から起こした読みやすい文章で、対角線論法をはじめとして、読むのに没頭させる。
 本書は、そのような、入不二哲学の今のところ最高の記録であるため、購入して手元において読み返したいものであった。文庫化のおかげでそれが多くの人に開かれた。

著書名 時間は実在するか (講談社現代新書)
著者名入不二 基義
出版社 講談社
ASIN 4061496387
装丁 新書
価格 ¥ 819
感想文概要:入不二時間論の金字塔
本文:『相対主義の極北』でデビューした哲学者入不二基義氏が、その手法を時間論に取り入れて完成させた名著である。
 体裁としてはマクタガートの「時間の非実在性」という有名な論文を下敷きにして、それを解説・反駁しつつ入不二自らの時間論を描き出すという構成になっている。第一章では準備作業としてマクタガート以前の時間論(ゼノン、アリストテレス、アウグスティヌス、ナーガールジュナ、山田孝雄)が紹介され、第二章と第三章でマクタガートの時間非実在論が解説される。第四章ではマクタガートの証明が失敗に終わっていることが論証され、第五章において入不二自身による形而上学的時間論が語られる。
 図をふんだんに用いた入不二のマクタガート解説は丁寧で分かりやすく、これだけでも読む価値は充分にあるが、何と言っても本書の白眉は第五章の入不二時間論にある。過去と未来の区別がなくなってゆき、「時間は実在するか」という問いそのものが失効するスリリングな展開には思わず息を呑む。
 詳細なマクタガート解説の後ろに隠れてしまっているが、本書は全く新しい時間論の書であり、ハードカバーで出さなかったことが惜しまれるくらい充実した内容である。中島時間論とも野矢時間論とも違う独創的な入不二時間論の、現時点での到達点といっていい一冊である。

概要:驚くほどまとまっておらず癖のあるつまらない本
本文:驚くほどつまらない本。
作者の意図なのか、それとも書き方の癖かはっきりしないが、
文章の中に補注のための括弧が散見し見苦しい。
必要の無い括弧による意味補強も多々、
また、同じ語彙のしつこいくらいの反復によって、更に読むのが嫌になるという悪循環。
他の方のレビューと私の読後感が是ほど乖離していることも初めてだし、
読むのが苦痛だった本は久しいので驚いています。


概要:形而上学時間論
本文:「時間」には
我々が実経験する「時間」
物理学的な「時間」
形而上学的「時間」がある。

形而上学的な「時間」についての良書であると思う。
途中からの自論が展開されるからこそ、作者の迷宮での奮闘振りが伝わってくる。

実は「物理学的時間」も素粒子論のミクロ世界になるとC時間が現実になるのか・・・?
因果律と「時間」の矛盾とかいろいろと考えながら読んで楽しませてもらいました。



概要:かなりの良書!
本文:筆者の説明は(おそらく大学の講義で、学生からの質問に答える中で形作られたものと思われる)痒いところに手が届くものであり、筆の運びも軽やかで大変読みやすい。
時間の哲学に関する本は数多く出ているが、そういったものを読む際の基礎的な考え方を身につけるための入門書として、本書は最適であると感じられる。
筆者の時間に関する視点も、大変スリリングで面白い。

概要:「時間」の哲学には欠かせない
本文:考えれば考えるほどわからなくなる「時間」というもの。
それをわかりやすく説いているのが本書。

ただ、わかりやすいといっても後半は結構難しい。
筆者の新語もちょっととっつきにくく、混乱させられるかもしれない。

ただ、前半のマクダガードの議論とその欠点まではすらすら読める。そこまででやめても十分なぐらいの良書。

著書名 哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)
著者名入不二 基義
出版社 筑摩書房
ASIN 448006401X
装丁 新書
価格 ¥ 903
感想文概要:元大手予備校人気講師の面目躍如
本文: 世に哲学入門書は数あれど、これほどの異色作は過去に例がないのではあるまいか。
 大学の入試問題として出題された哲学論文の中から、出題者が誤読していると思われるものをピックアップし、その原因および正しい読み方を検証するという内容である。俎上に載せられるのは、野矢茂樹、永井均、中島義道、大森荘蔵の諸論文であり、いずれも日本を代表する哲学者である。
 入試問題で要求されるのは読解力であり国語力であるが、本書はもちろん国語の本ではない。4人の論文の字面(テキスト)だけでなく哲学そのものに迫る内容になっているので、それぞれの哲学者への入門書としても読むことができる。
 アルバイトとして予備校講師を勤めていたことのある(それも大手予備校の人気講師だったと聞く)入不二ならではの発想であり、彼でなければ実現しえなかった企画であろう。塾の講師で生計を立てていた哲学者は少なくないであろうが、それを苦い思い出として葬り去るのではなく、このような形で恩返しできるところに入不二の器の大きさがうかがえる。
 永井均の『マンガは哲学する』と並び、個性的としか言いようがない哲学入門書である。「哲学と入試」という取り合わせは「哲学とマンガ」という取り合わせ以上にシュールな印象を受ける。感情を排したドライな哲学が持ち味である入不二の、珍しく熱い想いが感じられる「個人的な」一冊と言えよう。

概要:「哲学」と「日常」
本文: 受験に関係するものとして、標題といくつかのレビューに惹かれて手にした。

 第一章だけ読んだが、俎上にあげられた「哲学者」の文章も、誤読を指摘する「哲学者」のそれも、何故もう一歩踏み込んで「痛み」や「知覚」や「分かる」の意味を語らないのか、まさに隔靴掻痒の感がした。また「日常と哲学の対比・隔たり」などという、「哲学」を特権化するような表現にも、違和感を拭い去ることができなかった。

 著者はマクタガートの時間論の紹介者らしい。マクタガートをウキペディアで調べたら、ヘーゲリアンで20世紀イギリス観念論の代表者らしい。最近、中島義道氏も「未来はない」などということを言っているが、それで分かった。

 「われわれの日常語は、哲学者が理解しているより、その用法においてずっと精妙であり、ずっと多くの区別立てを示す、というのが事実であって、また、知覚の事実は、例えば心理学者によって発見され、また素人によっても気づかれているように、哲学者達がこれまで認めてきたよりずっと多様で複雑である、というのが事実なのである。」
(J.L.オースティン『知覚の言語』P14 勁草書房)

 私が感じた違和感は、哲学の一つの流れに惹かれている者の、別の流れに対するものであったようだ。


概要:大切なことに気づかせてくれる好著
本文:新進気鋭の哲学者が、大学入試の現代文問題に挑むという内容である。ただし、取り上げられる題材は日本の代表的な哲学者によるので、短い文章ながら、それぞれの哲学者の入門書として読むこともでき、私のように大学入試問題に関心がない者でも、じゅうぶんに楽しめた。

決してやさしい内容ではないのだが、入不二氏のくせのない端正な文章のおかげで、たいへん気持ちよく読み進められた。それはまた、入不二氏が、出題元である野矢茂樹氏、永井均氏、中島義道氏、大森荘蔵氏に同じ哲学者として尊敬心と畏怖心を持ち、おのおのの短文に誠実に向き合おうとしているからでもある。

入不二氏の文章はとにかく明快である。「のかもしれない」「のだろう」「と思う」「にちがいない」などの推量表現を極力避け、私たちを着地点に連れて行くために、綱渡りのような論理の連続を見せてくれる。一貫した立場とブレのない視線、そして何よりも自分の読みに揺るぎのない自信があるからこその名人芸である。

哲学の誤読とは何か。それは「哲学している」文章に不誠実に向き直ることである。私たちは、ある疑問に対する答えを求めるために文章を読むことに慣れすぎ、哲学に対しても同じようなスタンスをとってしまう。哲学にすら答えを求め、答えのないものに答えを見つけてしまう。それこそが「哲学の誤読」である。

「哲学している」文章には答えは書かれていない。そこにあるのは、永遠に「哲学せざるをえない」哲学者の編む悲痛なプロセス、そしてそれを誰かに伝えたいと思う強靱な意志だけである。読者は書き手と一緒に「哲学する」しかない。だが、入試問題の出題者の多くは、その悲痛な文章を鈍感に切り取り、穴を空ける。また、受験産業の解答者は、まるで文章が100%わかったかの顔を受験生に向けて、その文章を自分の「知識内」にあるかのように解説していく。入不二氏のような誠実な哲学者にとって、それは痛みが走るほどの愚行でしかない。

文章を読むときには、わかった気にならないこと、強引に自分の論に引き入れないこと、つまりは誠実にそれと向き合うこと、そんな当たり前だが、大切なことに気づかせてくれる好著である。

概要:哲学系入試現代文の徹底した読み込み
本文:過去の入試現代文のうち、哲学系のものを4つ選び、それを300ページ近くかけて徹底して読み込んでいます。
その中で、どのようにして誤読が起きてしまうのか、哲学が誤解されてしまうのか、をうまく分析しています。

また、入試特有の「勝手な文章の改変・省略」なども扱われていてなかなか面白いです。

扱われている哲学者も、野矢茂樹・永井均・中島義道・大森荘蔵とそうそうたるメンバー。
内容は、野矢の文章を除いては時間論三本と、少し偏りはありますが。

あなたは誤読をしてしまう、という事実が突きつけられてしまうと、普段の読書でもなんか恐ろしくなってしまう。
特に哲学書は。


入試の書としても哲学の書としても楽しめる。
なかなか良書

概要:刺激的な本である
本文:4つの哲学を題材とした入試問題(東京大学、早稲田大学等々)が俎上に挙げられる。大きく「時間」をテーマ
に問う、それ自体刺激的な文章である。過去と現在、そして未来について論じられるそれらの文章を徹底的に
読みこなすこと自体がすでに哲学の入門となる。ついで問題を解く。面白いのは設問自体を著者は鋭く検証して
いることだ。「出題者はこの文章をわかっているのだろうか?」という問いかけは、余りにも大胆であるが、
読者としても背筋が伸びる。さらに参考書の回答例が羅列される。赤本(教学社)、青本(駿台文庫)、河合、
Z会、代々木。これらには大学入試問題の枠の中での解答が列挙されているのであるが、それでもこれほど解答
が違うのかと、私は驚いた(すでに大学入試は縁遠い)。面白いのはその「枠」を遙かに超えた解答(説明と
いうべきか)が用意されていることだ。入試問題は書物の一部を切り取らざろう得ないが、その前後あるいは
元の書物全体を俯瞰した説明なので、書物本来の意味(すなわち各著者のいいたかった本当のこと)が伺えて
より納得がいくのである。「出題者の問題の切り取り方に問題がある」という出題もあったりする。

本当に面白い親書を読んだような気がするのである。

著書名 ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)
著者名入不二 基義
出版社 日本放送出版協会
ASIN 4140093323
装丁 単行本
価格 ¥ 1,050
感想文概要:「ウィトゲンシュタイン入門」兼「入不二自我論入門」
本文: 本書は単なるウィトゲンシュタインの入門書ではない。『相対主義の極北』と『時間は実在するか』で確立された入不二哲学の手法を自我論に適用した、オリジナルな哲学書である。
 入不二はウィトゲンシュタイン哲学を「私」の問題に限定し、「独我論」「無主体論」「私的言語論」の三つの側面に切り分ける。そのそれぞれに入不二製の哲学メスが入れられる――「独我論」には「正反対の一致」が、「無主体論」には「ないよりもっとないこと」が、「私的言語論」には「拡張するわれわれ」が――。ウィトゲンシュタイン哲学の入不二的解釈であると同時に、入不二哲学のウィトゲンシュタイン的解釈でもあり、読者は双方の哲学を味読できるというお得な構成になっている。
「世界は私の表象に過ぎず、私が死ねば世界も消える」と主張する独我論。「私は世界の一部に過ぎず、私が死んでも世界は傷つかない」と主張する実在論。それら相反する二つの立場を徹底させると、その極限において両者が重なるというマジックのような展開は、序章でも紹介されている「入不二」哲学の醍醐味である。
 世にウィトゲンシュタインの入門書はいくらでもあるが、入不二自我論の書は今のところこれだけである。読みやすそうな体裁をまとっているが、内容は決して薄くはない。『ウィトゲンシュタイン』というタイトルだけで誤解してほしくない、本格的かつ独創的な入不二哲学論文であることを改めて銘記しておきたい。

概要:全くの素人解釈ですが面白かった
本文: 我々が夢を見ているとき、通常はその夢は私の無意識がでっち上げたのだと考えられます。しかしでっち上げられているのは夢ではなく「夢を見ている私」のほうなのではないか。なぜなら夢を見ている間、「私」はどこにも存在していないから。「私」は夢から目覚めた瞬間からしか存在しない。つまり、目覚めた後の「私」が、今まで見ていた夢に「夢見ていた私」を貼り付ける、すなわち夢の外側に「私」を設定するのです。
 同じように、夢の対概念である「現実」の場合も、「世界より小さな私」を設定し、それを世界の内部に位置づけることで世界を「現実」化しているのかもしれない。
 つまり、「私」を世界の外側に設定することでその世界を夢たらしめ、「私」を世界の内側に設定することでその世界を現実たらしめているのではないか。夢と現実の区別なんてそんなものかもしれない。夢も現実も同じ「世界」であり、違っているのは「私」の位置づけだけだ。
 ヴィトゲンシュタインは、上記のような、夢でも現実でもない「世界そのもの」を言語化しようとします。それは同時に、現実と夢とに分化してしまう原因である「私」を消去することになります。そしてそのために「世界と寸分違わず一致する私」を言語化しようとします。なぜならこの一致こそが「私」と世界の一体化、つまり「私」の消去へとつながるからです。「私」が世界よりも1ミリでもはみ出れば夢の話に、1ミリでも小さくなれば現実の話になってしまう。そのぎりぎりのところを言語化しようとするのです。
これはまるで、無我の境地つまり「悟り」を言語化しようとしているようだと思いました。

概要:的を絞った入門書
本文:ヴィトゲンシュタインに関する入門書は数多くあるが、これだけ絞り込んだ入門書も珍しい。「論理哲学論考」「青色本」「哲学探究」の3冊に絞り込んで説明されています。これは新たな試みとして非常に面白いと思います。この本を読み終えて新たな入門書なりを読み込んで見るのも面白いと思います。

概要:問題の核心と格闘する力作
本文:「独我論」という視点から、ウィトゲンシュタインを読み解いた力作。前期の『論考』から、中期の『青色本』を経て、後期の『探究』まで、ウィトゲンシュタインが、「私」という特異な主題と格闘した経過がよく分かる。著者によれば、「本当の意味で存在するのは私だけだ」という「いわゆる独我論」を批判して、「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」という、『論考』における「ウィトゲンシュタインの独我論」が成立した。そのポイントは、通常は「存在と無の間に境界線は引けない」のに対して、「言語においてのみ限界が引ける」という点にある。なぜなら、言語に着目すれば、「無意味と有意味の間に境界線が引ける」からだ(p61f)。これは鋭い考察だ。

中期についても、シュリックやストローソンの「無主体論」という凡庸な解釈を、著者は退ける。「無主体論」と「直接経験による検証主義」の葛藤こそがウィトゲンシュタインの思索を導き、その葛藤が、「類比を通じた移行」という発想に至り、それが後期の「家族的類似性」という「言語ゲーム」概念に繋がった。そして著者は、本書第三章で、「私的言語」をめぐる「感覚日記」の議論を読み解く(p102〜116)。ここは最高にスリリングな箇所だ。「人々がそれぞれ異なった規則に従う」ことを我々が理解するのは、「規則に従う」とは何かの理解が同一だからこそそう言える(102)。そして感覚が私的であるのは「文法によって」そうなのだから、そこではもうすでに文法に依存しており、したがって記号「E」は私的言語であることはできない(110)。どこまで追い求めても、「私」は、「われわれの言語」に回収されるか、無意味になるかいずれかであり、「私的言語」という落とし所はないというのが結論。

著書名 時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか (双書エニグマ)
著者名入不二 基義
出版社 勁草書房
ASIN 4326199172
装丁 単行本
価格 ¥ 3,255
感想文概要:入不二哲学の新たなる展開
本文:『相対主義の極北』と『時間は実在するか』によって日本哲学界に独自の地位を確立した入不二の、前二作の続編ともいうべき哲学書である。前二作を未読の読者も問題なく読むことができるし、むしろ本書の方がハードルは低く読みやすいかも知れない。
 というのも前二作がその集中力において傑出した「長編(書き下ろし)」であったのに対し、本書はそれぞれの章がある程度独立した「短編集(既発表論文集)」の構成になっているからである。最初の五章に時間論が、次の三章に相対主義が割り当てられ、最終章で運命論が語られている。
 全ての論文が完成度が高く読み応えがあるが、何といっても注目すべきは最終章の運命論であろう。人間は自由か否かという問題は哲学における永遠の課題であり、これまでは意志論や因果律の観点から論じられるケースがほとんどであったが、入不二はそこへ独自の時間論を適用し、過去や未来とは関係のない「それ以外にありようのない現在」という観点から、全く独創的な形而上学的運命論を提出する。
 2008年度の青山学院学術褒賞を受賞した本書は、入不二哲学の新たなる展開を予感させる好著である。相対主義やマクタガートといった哲学用語が持つ難解そうなイメージからか、その分かりやすさとは裏腹に一般読者には不当に馴染みの薄かった入不二の哲学が、運命論という分かりやすいキーワードの導入によって、一人でも多くの読者に読まれるようになることを願ってやまない。

概要:マクタガートを超えて時間論を深める
本文:著者は、マガクタート研究の第一人者であると同時に、相対主義についての考察で知られる人。本書は最近の論稿を集めたものだが、第2,3,4,5章など、時間を論じた力作が並んでいる。前著『時間は実在するか』と合わせると、マクタガートのパラドックス問題はほとんど論じ尽されたと言えるだろう。著者は、マクタガートのA系列・B系列という枠組みでは「時間の動性」の本当の姿は見えてこないと批判する。過去・現在・未来という時制の一部としての「現在」という平板な理解では、「現在だけがある」ことの、その「だけ」としての「ある」が抜け落ちてしまう。この「<だけ>としての<ある>」は、伝統的に「刹那滅」と言われてきたものに近い。また、「未来が現在になる」という「時間の推移」は、「果物が緑から赤になる」のような通常の変化とは異なっている。この場合の緑と赤とは、「同じものが同時に緑かつ赤ではありえない」という意味での両立不可能性であるが、「時間の推移」における「なる」は、前後の「同じもの」を前提しない純粋な「なる」そのものである。というのも、人間の誕生や死のような「生成・消滅」には、このような「なる」が含まれるからである。そして著者は、「<だけ>としての<ある>」と純粋な「なる」との間の根本矛盾にこそ「時間の動性」を見て取る。このように、エレア派の「ある」とヘラクレイトスの「なる」を共に取り込む著者の雄大な構想が素晴しい。

著書名 相対主義の極北
著者名入不二 基義
出版社 春秋社
ASIN 4393329031
装丁 単行本
価格 ¥ 3,360
感想文概要:最高!!
本文: 入不二の文章は、本当にこれを哲学書と考えて読んでいいのでしょうかといいたくなるぐらい死ぬほど丁寧で易しくて明快で読みやすい。論理が抜けてて読み飛ばすしかなかったという箇所が皆無なまま全篇を読み終えることができる。数十ページに及ぶ注もすべて難なく読める。注において、大庭健に関する論評よりも、数学の対角線論法に関する解説のほうがわかりやすかったぐらいである!
 どんな解説よりも本文自体のほうがわかりやすいというほどの代物なので解説はしない。注意を述べておくと、本書で行われるのは、超がつくほど純粋な哲学的考察なので、相対主義の例が出てくることがほとんどまったくなく、事柄を相対化する論理というものがいかなるものでありいかなるものでありうるかがひたすら追求されてゆく。相対主義を内部から食い破りその可能性で殺害し燃やし灰から立ち上げるような作業を行うので、相対主義の、ありうべき最高の肯定・正当化となっている。注に登場する永井均(注目すべき哲学者にして稀代の悪文家)の<私>論に近似する内容とも取れる。とはいえ、賢明な読者なら、入不二の追求する「相対化する力」が他の分野で同じことが言え、たとえば「エゴイズム化する力」・「功利化する力」・「家族的類似性化する力」などといった風に同じような考察が行えることが理解できることであろう。


著書名 〈思考する〉英文読解 (駿台レクチャー叢書)
著者名入不二 基義
出版社 駿台文庫
ASIN 479612022X
装丁 単行本
価格 ¥ 1,305
感想文概要:
本文:

著書名 哲学者たちは授業中
著者名入江 幸男, 松葉 祥一, 上野 修, 入不二 基義, 大島 保彦,
出版社 ナカニシヤ出版
ASIN 488848371X
装丁 単行本
価格 ¥ 2,205
感想文概要:
本文:

著書名 大学デビューのための哲学
著者名入不二 基義, 霜 栄, 大島 保彦,
出版社 はるか書房
ASIN 4795240647
装丁 単行本
価格 ¥ 1,470
感想文概要:
本文:




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