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個人輸入代行の『舶来屋』がお薦めする「
入不二 基義
」関連の書籍をご紹介しています。 |
| 著書名 | 哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! | ![]() |
| 著者名 | 入不二 基義 | |
| 出版社 | 筑摩書房 | |
| ASIN | 448006401X | |
| 装丁 | 新書 | |
| 価格 | ¥ 903 | |
| 感想文 | 概要:大切なことに気づかせてくれる好著 本文:新進気鋭の哲学者が、大学入試の現代文問題に挑むという内容である。ただし、取り上げられる題材は日本の代表的な哲学者によるので、短い文章ながら、それぞれの哲学者の入門書として読むこともでき、私のように大学入試問題に関心がない者でも、じゅうぶんに楽しめた。 決してやさしい内容ではないのだが、入不二氏のくせのない端正な文章のおかげで、たいへん気持ちよく読み進められた。それはまた、入不二氏が、出題元である野矢茂樹氏、永井均氏、中島義道氏、大森荘蔵氏に同じ哲学者として尊敬心と畏怖心を持ち、おのおのの短文に誠実に向き合おうとしているからでもある。 入不二氏の文章はとにかく明快である。「のかもしれない」「のだろう」「と思う」「にちがいない」などの推量表現を極力避け、私たちを着地点に連れて行くために、綱渡りのような論理の連続を見せてくれる。一貫した立場とブレのない視線、そして何よりも自分の読みに揺るぎのない自信があるからこその名人芸である。 哲学の誤読とは何か。それは「哲学している」文章に不誠実に向き直ることである。私たちは、ある疑問に対する答えを求めるために文章を読むことに慣れすぎ、哲学に対しても同じようなスタンスをとってしまう。哲学にすら答えを求め、答えのないものに答えを見つけてしまう。それこそが「哲学の誤読」である。 「哲学している」文章には答えは書かれていない。そこにあるのは、永遠に「哲学せざるをえない」哲学者の編む悲痛なプロセス、そしてそれを誰かに伝えたいと思う強靱な意志だけである。読者は書き手と一緒に「哲学する」しかない。だが、入試問題の出題者の多くは、その悲痛な文章を鈍感に切り取り、穴を空ける。また、受験産業の解答者は、まるで文章が100%わかったかの顔を受験生に向けて、その文章を自分の「知識内」にあるかのように解説していく。入不二氏のような誠実な哲学者にとって、それは痛みが走るほどの愚行でしかない。 文章を読むときには、わかった気にならないこと、強引に自分の論に引き入れないこと、つまりは誠実にそれと向き合うこと、そんな当たり前だが、大切なことに気づかせてくれる好著である。 概要:哲学系入試現代文の徹底した読み込み 本文:過去の入試現代文のうち、哲学系のものを4つ選び、それを300ページ近くかけて徹底して読み込んでいます。 その中で、どのようにして誤読が起きてしまうのか、哲学が誤解されてしまうのか、をうまく分析しています。 また、入試特有の「勝手な文章の改変・省略」なども扱われていてなかなか面白いです。 扱われている哲学者も、野矢茂樹・永井均・中島義道・大森荘蔵とそうそうたるメンバー。 内容は、野矢の文章を除いては時間論三本と、少し偏りはありますが。 あなたは誤読をしてしまう、という事実が突きつけられてしまうと、普段の読書でもなんか恐ろしくなってしまう。 特に哲学書は。 入試の書としても哲学の書としても楽しめる。 なかなか良書 概要:刺激的な本である 本文:4つの哲学を題材とした入試問題(東京大学、早稲田大学等々)が俎上に挙げられる。大きく「時間」をテーマ に問う、それ自体刺激的な文章である。過去と現在、そして未来について論じられるそれらの文章を徹底的に 読みこなすこと自体がすでに哲学の入門となる。ついで問題を解く。面白いのは設問自体を著者は鋭く検証して いることだ。「出題者はこの文章をわかっているのだろうか?」という問いかけは、余りにも大胆であるが、 読者としても背筋が伸びる。さらに参考書の回答例が羅列される。赤本(教学社)、青本(駿台文庫)、河合、 Z会、代々木。これらには大学入試問題の枠の中での解答が列挙されているのであるが、それでもこれほど解答 が違うのかと、私は驚いた(すでに大学入試は縁遠い)。面白いのはその「枠」を遙かに超えた解答(説明と いうべきか)が用意されていることだ。入試問題は書物の一部を切り取らざろう得ないが、その前後あるいは 元の書物全体を俯瞰した説明なので、書物本来の意味(すなわち各著者のいいたかった本当のこと)が伺えて より納得がいくのである。「出題者の問題の切り取り方に問題がある」という出題もあったりする。 本当に面白い親書を読んだような気がするのである。 | |
| 著書名 | 時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか (双書エニグマ) | ![]() |
| 著者名 | 入不二 基義 | |
| 出版社 | 勁草書房 | |
| ASIN | 4326199172 | |
| 装丁 | 単行本 | |
| 価格 | ¥ 3,255 | |
| 感想文 | 概要:マクタガートを超えて時間論を深める 本文:著者は、マガクタート研究の第一人者であると同時に、相対主義についての考察で知られる人。本書は最近の論稿を集めたものだが、第2,3,4,5章など、時間を論じた力作が並んでいる。前著『時間は実在するか』と合わせると、マクタガートのパラドックス問題はほとんど論じ尽されたと言えるだろう。著者は、マクタガートのA系列・B系列という枠組みでは「時間の動性」の本当の姿は見えてこないと批判する。過去・現在・未来という時制の一部としての「現在」という平板な理解では、「現在だけがある」ことの、その「だけ」としての「ある」が抜け落ちてしまう。この「<だけ>としての<ある>」は、伝統的に「刹那滅」と言われてきたものに近い。また、「未来が現在になる」という「時間の推移」は、「果物が緑から赤になる」のような通常の変化とは異なっている。この場合の緑と赤とは、「同じものが同時に緑かつ赤ではありえない」という意味での両立不可能性であるが、「時間の推移」における「なる」は、前後の「同じもの」を前提しない純粋な「なる」そのものである。というのも、人間の誕生や死のような「生成・消滅」には、このような「なる」が含まれるからである。そして著者は、「<だけ>としての<ある>」と純粋な「なる」との間の根本矛盾にこそ「時間の動性」を見て取る。このように、エレア派の「ある」とヘラクレイトスの「なる」を共に取り込む著者の雄大な構想が素晴しい。 | |
| 著書名 | 〈思考する〉英文読解 (駿台レクチャー叢書) | ![]() |
| 著者名 | 入不二 基義 | |
| 出版社 | 駿台文庫 | |
| ASIN | 479612022X | |
| 装丁 | 単行本 | |
| 価格 | ¥ 1,305 | |
| 感想文 | 概要: 本文: | |
| 著書名 | 相対主義の極北 | ![]() |
| 著者名 | 入不二 基義 | |
| 出版社 | 春秋社 | |
| ASIN | 4393329031 | |
| 装丁 | 単行本 | |
| 価格 | ¥ 3,360 | |
| 感想文 | 概要:最高!! 本文: 入不二の文章は、本当にこれを哲学書と考えて読んでいいのでしょうかといいたくなるぐらい死ぬほど丁寧で易しくて明快で読みやすい。論理が抜けてて読み飛ばすしかなかったという箇所が皆無なまま全篇を読み終えることができる。数十ページに及ぶ注もすべて難なく読める。注において、大庭健に関する論評よりも、数学の対角線論法に関する解説のほうがわかりやすかったぐらいである! どんな解説よりも本文自体のほうがわかりやすいというほどの代物なので解説はしない。注意を述べておくと、本書で行われるのは、超がつくほど純粋な哲学的考察なので、相対主義の例が出てくることがほとんどまったくなく、事柄を相対化する論理というものがいかなるものでありいかなるものでありうるかがひたすら追求されてゆく。相対主義を内部から食い破りその可能性で殺害し燃やし灰から立ち上げるような作業を行うので、相対主義の、ありうべき最高の肯定・正当化となっている。注に登場する永井均(注目すべき哲学者にして稀代の悪文家)の<私>論に近似する内容とも取れる。とはいえ、賢明な読者なら、入不二の追求する「相対化する力」が他の分野で同じことが言え、たとえば「エゴイズム化する力」・「功利化する力」・「家族的類似性化する力」などといった風に同じような考察が行えることが理解できることであろう。 | |
| 著書名 | 大学デビューのための哲学 | ![]() |
| 著者名 | 入不二 基義, 霜 栄, 大島 保彦, | |
| 出版社 | はるか書房 | |
| ASIN | 4795240647 | |
| 装丁 | 単行本 | |
| 価格 | ¥ 1,470 | |
| 感想文 | 概要: 本文: | |
| 著書名 | ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス) | ![]() |
| 著者名 | 入不二 基義 | |
| 出版社 | 日本放送出版協会 | |
| ASIN | 4140093323 | |
| 装丁 | 単行本 | |
| 価格 | ¥ 1,050 | |
| 感想文 | 概要:全くの素人解釈ですが面白かった 本文: 我々が夢を見ているとき、通常はその夢は私の無意識がでっち上げたのだと考えられます。しかしでっち上げられているのは夢ではなく「夢を見ている私」のほうなのではないか。なぜなら夢を見ている間、「私」はどこにも存在していないから。「私」は夢から目覚めた瞬間からしか存在しない。つまり、目覚めた後の「私」が、今まで見ていた夢に「夢見ていた私」を貼り付ける、すなわち夢の外側に「私」を設定するのです。 同じように、夢の対概念である「現実」の場合も、「世界より小さな私」を設定し、それを世界の内部に位置づけることで世界を「現実」化しているのかもしれない。 つまり、「私」を世界の外側に設定することでその世界を夢たらしめ、「私」を世界の内側に設定することでその世界を現実たらしめているのではないか。夢と現実の区別なんてそんなものかもしれない。夢も現実も同じ「世界」であり、違っているのは「私」の位置づけだけだ。 ヴィトゲンシュタインは、上記のような、夢でも現実でもない「世界そのもの」を言語化しようとします。それは同時に、現実と夢とに分化してしまう原因である「私」を消去することになります。そしてそのために「世界と寸分違わず一致する私」を言語化しようとします。なぜならこの一致こそが「私」と世界の一体化、つまり「私」の消去へとつながるからです。「私」が世界よりも1ミリでもはみ出れば夢の話に、1ミリでも小さくなれば現実の話になってしまう。そのぎりぎりのところを言語化しようとするのです。 これはまるで、無我の境地つまり「悟り」を言語化しようとしているようだと思いました。 概要:的を絞った入門書 本文:ヴィトゲンシュタインに関する入門書は数多くあるが、これだけ絞り込んだ入門書も珍しい。「論理哲学論考」「青色本」「哲学探究」の3冊に絞り込んで説明されています。これは新たな試みとして非常に面白いと思います。この本を読み終えて新たな入門書なりを読み込んで見るのも面白いと思います。 概要:問題の核心と格闘する力作 本文:「独我論」という視点から、ウィトゲンシュタインを読み解いた力作。前期の『論考』から、中期の『青色本』を経て、後期の『探究』まで、ウィトゲンシュタインが、「私」という特異な主題と格闘した経過がよく分かる。著者によれば、「本当の意味で存在するのは私だけだ」という「いわゆる独我論」を批判して、「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」という、『論考』における「ウィトゲンシュタインの独我論」が成立した。そのポイントは、通常は「存在と無の間に境界線は引けない」のに対して、「言語においてのみ限界が引ける」という点にある。なぜなら、言語に着目すれば、「無意味と有意味の間に境界線が引ける」からだ(p61f)。これは鋭い考察だ。 中期についても、シュリックやストローソンの「無主体論」という凡庸な解釈を、著者は退ける。「無主体論」と「直接経験による検証主義」の葛藤こそがウィトゲンシュタインの思索を導き、その葛藤が、「類比を通じた移行」という発想に至り、それが後期の「家族的類似性」という「言語ゲーム」概念に繋がった。そして著者は、本書第三章で、「私的言語」をめぐる「感覚日記」の議論を読み解く(p102〜116)。ここは最高にスリリングな箇所だ。「人々がそれぞれ異なった規則に従う」ことを我々が理解するのは、「規則に従う」とは何かの理解が同一だからこそそう言える(102)。そして感覚が私的であるのは「文法によって」そうなのだから、そこではもうすでに文法に依存しており、したがって記号「E」は私的言語であることはできない(110)。どこまで追い求めても、「私」は、「われわれの言語」に回収されるか、無意味になるかいずれかであり、「私的言語」という落とし所はないというのが結論。 | |
| 著書名 | 哲学者たちは授業中 | ![]() |
| 著者名 | 入江 幸男, 松葉 祥一, 上野 修, 入不二 基義, 大島 保彦, | |
| 出版社 | ナカニシヤ出版 | |
| ASIN | 488848371X | |
| 装丁 | 単行本 | |
| 価格 | ¥ 2,205 | |
| 感想文 | 概要: 本文: | |
| 著書名 | 時間は実在するか (講談社現代新書) | ![]() |
| 著者名 | 入不二 基義 | |
| 出版社 | 講談社 | |
| ASIN | 4061496387 | |
| 装丁 | 新書 | |
| 価格 | ¥ 819 | |
| 感想文 | 概要:驚くほどまとまっておらず癖のあるつまらない本 本文:驚くほどつまらない本。 作者の意図なのか、それとも書き方の癖かはっきりしないが、 文章の中に補注のための括弧が散見し見苦しい。 必要の無い括弧による意味補強も多々、 また、同じ語彙のしつこいくらいの反復によって、更に読むのが嫌になるという悪循環。 他の方のレビューと私の読後感が是ほど乖離していることも初めてだし、 読むのが苦痛だった本は久しいので驚いています。 概要:形而上学時間論 本文:「時間」には 我々が実経験する「時間」 物理学的な「時間」 形而上学的「時間」がある。 形而上学的な「時間」についての良書であると思う。 途中からの自論が展開されるからこそ、作者の迷宮での奮闘振りが伝わってくる。 実は「物理学的時間」も素粒子論のミクロ世界になるとC時間が現実になるのか・・・? 因果律と「時間」の矛盾とかいろいろと考えながら読んで楽しませてもらいました。 概要:かなりの良書! 本文:筆者の説明は(おそらく大学の講義で、学生からの質問に答える中で形作られたものと思われる)痒いところに手が届くものであり、筆の運びも軽やかで大変読みやすい。 時間の哲学に関する本は数多く出ているが、そういったものを読む際の基礎的な考え方を身につけるための入門書として、本書は最適であると感じられる。 筆者の時間に関する視点も、大変スリリングで面白い。 概要:「時間」の哲学には欠かせない 本文:考えれば考えるほどわからなくなる「時間」というもの。 それをわかりやすく説いているのが本書。 ただ、わかりやすいといっても後半は結構難しい。 筆者の新語もちょっととっつきにくく、混乱させられるかもしれない。 ただ、前半のマクダガードの議論とその欠点まではすらすら読める。そこまででやめても十分なぐらいの良書。 概要:時間論と言えばこの一冊!!!! 本文:時間に関する本は何冊か読んだけど、この本が一番おもしろくて、わかりやすかったし、すごいと思った。流石に最後のほうは難しかったけど、途中までスラスラ読めたし、哲学の中で、時間がどんな風に問題になっているのかがよくわかる。読んで絶対損はない。哲学が好きな人は(笑) 時間について書かれた本で、どれを読むか迷っている人は、とりあえずこれを読めば大丈夫☆ | |